遂に南米のハイライト「マチュピチュ」へ行ってきたので紹介します。
マチュピチュへの行き方についてはこちら。
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インカ帝国の滅亡とマチュピチュの発見
マチュピチュ遺跡観光の前に少し歴史について触れたいと思います。
1532年、スペイン人の侵略により第13代国王アタワルパが捕らえられインカ帝国はもろくも崩壊。インカの首都であったクスコもスペイン人の手に渡り町は破壊されてしまいます。
その後、スペイン人侵略から逃れたクスコのインカ軍は、現在のオリャンタイタンボの要塞でスペイン軍を待ち受け容易に撃退。それにも関わらず、彼らはオリャンタイタンボを後にして、更に山奥の「ビルカバンバ」へと身を潜めてしまいます。
結局この「ビルカバンバ」は見つかることなく、いつしか「伝説の都」と呼ばれるようになります。
そして1911年、ビルカバンバを探し求めていたアメリカ人の歴史学者ハイラム・ビンガムは、ビルカバンバについての古い記録「非常に高い山の頂にあり、精巧な技術で建造された壮大な建物がそびえたつ」という数行を頼りに、草に覆われた段々畑をよじ登り、山の上に広がる遺跡を発見することとなります。
ビルカバンバと思われて発見されたこの遺跡こそがマチュピチュ遺跡だったというわけです。
結局、マチュピチュはビルカバンバでは無かったわけですが、あらゆるインカの都市がスペイン人に破壊されてしまったにも関わらず、マチュピチュはほぼ完全な状態で残っているため、インカの都市造りを今に伝えるとても貴重な発見だったそうです。
というわけで、いよいよマチュピチュ遺跡を見学していきたいと思います。
※オリャンタイタンボについては以下の記事で紹介しています。
バスでマチュピチュ村からマチュピチュ遺跡へ
マチュピチュ村からマチュピチュまではバスが運行しています。料金は片道12ドル、往復で購入しても割引はなく24ドル。
僕らは往路の片道だけバスを利用し、復路は歩いて帰ってくることにしました。
バスチケットは前日にバス乗り場近くの窓口で購入。チケット購入時には人数分のパスポートが必要なのでお忘れなく。またクレジットカードでの支払いはマスターカードのみ受け付けていました。
これがバスチケット。結構ちゃんとしてます。乗り込む時にQRコードを読み込まれます。
そして、マチュピチュ遺跡の観光当日。僕らはマチュピチュ遺跡でサンライズを見たかったので、朝5時にバス乗り場へ行ってみると既に長蛇の列。
並んでいる時にバスチケットとパスポートのチェックもありました。
5時20分から順々にバスが出るんですが、僕らは3台目のバスにギリギリ乗れました。
ちなみに、朝ご飯の心配があったんですが、こんな状況なのでバス停付近の売店とかはこの時間でも開いてます。高いけど。マフィンが7ソル(約235円)とかでした。
バスに乗って30分ほどでマチュピチュ遺跡の入口に到着。6時の入場開始時間前に着いたので、マチュピチュ入口も長蛇の列でした。
入場の際にチケットとパスポートの原本が必要になるので絶対に忘れないように。忘れたら高額なバス代と時間が無駄になります。
チケットの購入方法は以下の記事で紹介しました。マチュピチュ遺跡では購入出来ないので必ず事前に予約・購入をしましょう。
ちなみに、当日なら何度でも入退場可能です。また、遺跡内にはトイレが無いので、入場前に行っておくといいかもしれません。料金は1ソル(約34円)でした。
天空都市マチュピチュ
マチュピチュのサンライズ
入場したら、まずはマチュピチュ全景が観られる「見張り小屋」を目指します。よくみんなが記念写真を撮っているあそこです。
そこから朝日を浴びるマチュピチュを拝もうと思います。
見張り小屋までとっておきたかったんですが、行く途中にマチュピチュが見えてしまいました。朝なのでまだ朝靄がかかっていて幻想的です。
今まで写真で結構観ていたので、実際に来てみても大して心揺さぶられることは無いかなーと思っていたんですが、やっぱり生は迫力が違いますね。マチュピチュの規模感、雰囲気は写真では味わえません。
そして見張り小屋へ。
もうだいぶ明るいですが、マチュピチュは周りを高い山に囲まれていてまだまだ朝日に照らされる様子はありません。
なので一旦周りをプラプラ。マチュピチュには野生のリャマもたくさんいました。
別の角度からもマチュピチュを眺めます。この角度から見ると「天空都市」と呼ばれるのも頷けます。
マチュピチュを発見したハイラム・ビンガムはこんなところをよじ登ってきたんですね。凄過ぎです。
ちなみに、水力発電所からマチュピチュ村まで歩いて行く時に、マチュピチュのこの側面を下から見ることが出来ます。この谷底を歩いているためかなり小さくしか見えないので、一度マチュピチュに来てみてからの方が発見しやすいかも。
そして、また見張り小屋周辺へ。朝は雲が多いので、マチュピチュが何度も雲に包まれてしまいます。真っ白で何も見えなくなったりもしました。
段々と日が当たってきて雲も晴れてきます。
この写真が一番好きです。
そして完全に朝日を浴びると雲もほとんど無くなります。
完全に日が当たってしまうより、少し雲がかかっていて、若干の日が当たっているくらいが一番良いですね。
日が昇る様子をタイムラプスで撮ってみました。なかなか良い感じです。
マチュピチュ遺跡内へ
マチュピチュのサンライズを堪能して、遺跡内の観光へと移ります。マチュピチュの遺跡内は観光ルートが1つしかないので、観光するのも簡単です。
まずは、かつての市街地へ。
市街地入口からはワイナピチュが見えます。
市街地を抜けるたところにあるのが「石切場」
ここで石を加工していたようです。
こんな緻密に加工していたのが凄過ぎます。
石切場を過ぎると「神聖な広場」があります。現代では休憩スポットのようになっています。笑
この広場にあるのが「3つの窓の神殿」
インカ発祥についての2大伝説の1つに、タンプ・トッコという3つの穴から8人の兄弟姉妹が湧き出し、そのうちのひとりがインカ初代皇帝のマンコ・カパックとなり、クスコでインカ帝国の基礎を築いたという話があって、そのタンプ・トッコこそがこの3つの窓なのではないかと言われているそうです。
広場の北側にあるのが「主神殿」
3つの窓の神殿同様に巨石を緻密に組み合わせて造られています。この技術は本当に凄いと思います。
そして主神殿の裏側にあるこの部屋。
なんと声がエコーします。理由はわかりませんが不思議な部屋です。
広場の先に進むと次にあるのは「インティワタナ」という日時計。
突き出た角柱の角は東西南北を指しているとか。
そしてマチュピチュの一番奥にあるのが「聖なる石」
神聖さは感じられませんでしたが、とにかく聖なる石のようです。
そして、いくつかの居住区を通過して、また見張り小屋方面へ。
見張り小屋の下に広がる段々畑では、トウモロコシやジャガイモ、コカの葉等、マチュピチュに住む人々の生活を支える食物が生産されていたそうです。
段々畑の左奥には、マチュピチュ村からマチュピチュ遺跡までの道路が見えます。13回のジグザクを繰り返すこの道路は発見者の名前にちなんで、ハイラム・ビンガム・ロードと呼ばれているそうです。
最初に通過した市街地もしたから見ると見事な石垣です。
この辺りに「16の水汲み場」があります。
インカが大帝国へと発展する過程では、この水を管理する技術の高さが鍵を握っていたそうです。
そして、天気が良くなったのを見計らって、最後にまた見張り小屋へ。笑
最後にここから昼間の写真も撮っておきたかったんです。
これでマチュピチュの観光は終了。
写真では伝わりづらいマチュピチュ遺跡は巨大です。さらに見るべきところも多いので、じっくり見て回るとかなりの時間が掛かります。前日の歩き疲れ、早起きで後半はかなりテキトーに周ってしまいましたが、それでも僕らは5時間も居ました。笑
あとはせっかく楽しむならやっぱり予め歴史を学んでおいた方が楽しめると思います。
あと見張り小屋裏にリャマが大量に居ます。リャマの写真が撮りたかったらこちらへ。
徒歩でマチュピチュ遺跡からマチュピチュ村へ
帰りはバス代節約のためにマチュピチュ遺跡からマチュピチュ村まで歩いて帰りました。
ハイラム・ビンガム・ロードを突っ切るように写真のような歩行用道路が整備されているので、思ったほど辛くはないです。
坂を下り終わってからもマチュピチュ村までは2km程歩かなければいけないので、マチュピチュ遺跡を出発してマチュピチュ村までは1時間半くらい掛かりました。
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