イグアス居住区でパラグアイ移民の歴史を学ぶ。

イグアス居住区の街並み

名前を聞いてどこにある国だかわからない人も多いだろうパラグアイ。

もちろん、日本からわざわざ観光へ訪れる日本人はほとんど居ません。

しかし、パラグアイには戦後に日本から移り住んだ人々が住む土地「イグアス居住区」があります。

南米への移民と言うとブラジルが真っ先に思い付くと思いますが、ブラジルに住む移民のほとんどは既に3世、4世となっており、日本語が話せない人たちも多いのに対し、入植の遅かったパラグアイの「イグアス居住区」には1世の方々がまだ生活しており、日本語で移住当時の話を移住した本人から詳しく聞くことが出来ます。

実はパラグアイは、海外で、しかも日本語で激動の歴史を学ぶことが出来る貴重な土地なんです。

僕も、このイグアス居住区で「日本以上の日本」を体感してきたので紹介したいと思います。

世界三大瀑布イグアスの滝からも近いので、イグアスの滝へ行く機会があれば是非イグアス居住区にも寄ってみてください。

目次

まるで田舎の夏休み!日本語溢れるイグアス居住区

イグアス居住区|街並み

イグアス居住区に到着して、まず驚くのが町中に自然に溢れている日本語。

日本語の看板だけではなく、あちこちから日本語で話す会話が聞こえてきて、なんだか不思議な感覚に陥ります。

もちろん、日本語で会話をしているのは観光客ではなく、現地に住む人々。つまり戦後に日本から移住してきたパラグアイ移民の方々です。

これまで多くの国を旅してきて、日本の文化が流行っている土地はたくさんあったけど、「日本の社会」が築き上げられている土地は初めて。

イグアス居住区のノンビリとした田舎具合と夏の暑さで、まるで日本の田舎で過ごす夏休みでした。

治安の悪い南米を旅していると、やはりどこか気を張っていて疲れが溜まって来るので、疲れたら一度イグアス居住区へ立ち寄って旅の疲れを癒すのも良いでしょう。

特にイグアス居住区で宿泊した「ペンション園田」は、心の底からリラックス出来て、旅の疲れを癒すにはぴったりの良宿でした。

 

移民資料館でパラグアイ移民の歴史を学ぶ

イグアス居住区|移民資料館

イグアス居住区には、ペンション園田のオーナー、園田さんが管理している「移住資料館」があります。

園田のお父さんは、ペンション園田に新しい宿泊者が来ると、この移住資料館へ連れて行ってくれて、パラグアイ移住の歴史について話を聞かせてくれます。

僕らも例に漏れず、「移住資料館」でパラグアイ移民の歴史を学ばせて貰いました。

 

南米移住の歴史

イグアス居住区|移民資料館

日本から中南米への移住の歴史は第一次世界大戦以前にまで遡ります。

そして、太平洋戦争を境に一旦南米への渡航は停止されましたが、敗戦後の日本国内の不景気から、国民を海外への移住させる国策が開始。

この時、移住を選択をした日本人の目的はお金。日本国内に仕事が無く、お金が無いから移住を選択せざるを得なかったそうです。そのため、移民は捨てられた国民「棄民」と呼ばれていたとか。

 

何故、パラグアイへの移住なのか。

ここで疑問なのが、南米への移住と聞くと、個人的にはブラジルのイメージが強いですが、何故パラグアイだったのか。

実は、1870年くらいにパラグアイではブラジル、アルゼンチン、ウルグアイを相手にして戦争があったそうです。そして、その戦争によりパラグアイの人口は50万人から20万人に激減。

そこで、パラグアイ政府は人口を維持するために、ドイツ、イタリア、日本等優秀とされていた国々と移民協定を結び移民を受け入れてくれたそうです。だから、パラグアイには日本以外にもドイツ人やイタリア人の移民も結構居るそうです。

また、この戦争によりパラグアイ国内の男性は20万人のうちわずか2万人になってしまったため、木を蹴ると女が落ちてくると言われるほど、男性に対して女性の人口がめちゃくちゃ多かったようです。

「なのに、俺には1人しか女房が居ない。」と園田さんはボヤいてました。笑

 

日本からパラグアイへ

園田さんがパラグアイに移住してきたのは55年前(1962年)の11歳だった頃。

神戸港から2週間でロサンゼルス、そしてパナマ運河を通って、1ヶ月半掛けて南米へと辿り着いたそうです。

南米に入ってからは、ブラジルの幾つかの港に立ち寄りながら南下。

アルゼンチンのブエノスアイレスで船を降り、ブエノスからパラグアイまでの陸路1200kmを列車で移動したそうです。

しかしこの列車がまた曲者で、パラグアイの列車の歴史は日本より古く、1860年代には既に開通していたにも関わらず、残念なことに1860年に出来た鉄道が100年経った時も姿を変えず利用されており、1200kmの道のりを移動するのに4日も掛かったそうです。日速300km。1時間に10kmちょっとしか進まない。

こうして長い旅を終えて、ようやくパラグアイに入植出来たそうです。

飛行機で世界が近くなった現在から考えると大変な旅だったと思います。

現在を生きる僕らでさえ、海外へ行くだけでどれだけの刺激を受けることか。実際に園田さんも、途中寄港した街のことを今でもハッキリと覚えていて色々と話してくれました。当時11歳の少年には、日本の外で経験する全てのことが衝撃だったことでしょう。

 

イグアス居住区|移民資料館

移住の際に利用された木箱。移民資料館には、移民の歴史を知るための様々なものが展示されています。

 

イグアス居住区|移民資料館

当時の移民パスポート。移民先に滞在している分には有効期限無し。但し、一度日本に帰国してしまうと失効してしまうそうです。

ちなみに、園田さんは日本のパスポートでパラグアイに滞在しているそう。現地に住む日本人の方々も日本国籍のまま生活されているようです。

 

パラグアイの原生林を開拓し、現在のイグアス居住区を造りあげる。

イグアス居住区|移民資料館

今では、町として何不自由なく過ごすことの出来るイグアス居住区ですが、入植当時は原生林が広がる土地でした。

入植者たちはこの原生林を開拓して、今のイグアス居住区を築き上げたそうです。現在のように重機があるわけでも無く、斧や蛮刀で地道に切り開くしかなかったため、気の遠くなる大変な作業だったと思います。

 

イグアス居住区|移民資料館

その後も、開拓は進み、原生林では農業が行えるほどにもなりました。

僕は初めて聞いたんですが、不耕起栽培と言う方法を園田さんがブラジルから持ち込んでパラグアイに普及させ、おかげで農作物の収穫量が劇的に増加したそうです。

そして、今ではイグアスは世界三大農場の1つだそう。赤土は栄養の無い痩せた土なのかと思っていたけど、イグアスの土壌は良いらしいです。

パラグアイは世界4位の大豆輸出国でもあり、非遺伝子組換え大豆はパラグアイから日本にも輸入されているそうですよ。

 

日本経済が好転。移民政策がストップ。

入植者たちが原生林を開拓し、生きるか死ぬかの生活をしている中、1964年に日本では東京オリンピックが開催されました。

これをきっかけに、新幹線も開通され国内の産業が活発化、日本経済は一転、好景気へ。

園田さんをはじめ、南米へ移住した方々は、移住前に土地を売却、そのお金で移住資金を捻出した方も多かったそうですが、オリンピック以降は地価も上昇し、国が移住前よりも高い値段で土地を買い取ってくれたため土地を売って大金持ちになった人も少なくなかったそうです。成金ってやつですね。

その後も、日本の好景気は続き、戦争が終わってわずか30年で世界でもトップレベルの経済力となりました。こんな成長を遂げるとは誰も思ってもいなかったそうです。

こうして、パラグアイへ移住する必要は無くなり、移民政策はストップ。

日本とパラグアイは、1957年に3年間で8万5千人の移民協定を結んでいますが、7万5千人程の枠が余ってしまったため、現在も協定は延長されているそうです。なので、どこか海外へ移住したい方はパラグアイならすぐに移住出来ますよ。笑

 

イグアス移住区を訪れる際に気を付けたいこと

イグアス居住区の街並み

こうして戦後から築き上げられてきたイグアス居住区。

今では2世、3世までの日本人がたくさん生活しています。

冒頭でも書いた通り、ブラジルでは既に日本語を話せない人々も増えているように、パラグアイの若い人たちもパラグアイ人として育っているのかと言うとそんなことはなく、日本人以上に日本人の感覚を持っています。

もちろん日本語も話せるし日本の歴史も深く理解している。

パラグアイに住む日本人は、現地の人々から、勤勉、嘘を吐かない、時間を守るというイメージが行き渡っているため、日本で暮らす以上に日本人のイメージを大切に、そして日本人の誇りを持って生活しています。

なので、イグアス居住区を訪れる僕らも、日本人代表として日本人のイメージを崩さない立ち振る舞いを意識しなければいけません。

ペンション園田に泊まっていた一昔前のバックパッカーたちは、汚い格好をして町を歩いていたので、正直イメージは良くなかったそうです。

旅の恥は掻き捨てと言う言葉がありますが、この地では掻き捨ててはいけない。次のバックパッカーのイメージに繋がり、長くパラグアイに住む日系人にも迷惑を掛けてしまうと園田さんも言っていました。

イグアス居住区を訪れることは、古き良き日本を学ぶ良い機会になるかもしれませんね。

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